第2回(通算47回) 稲門ウォーカーズ 活動報告(2302)

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「滝不動と二和開墾の歴史を訪ねる」

―シン・ウォーカーズ パート2―

2月18日、三寒四温の「温」に当り、快晴微風の土曜日、二和向台駅9時に9人が集合。12月に続く第2回、今回は此地に在住20余年の福田豊さんが訪ね歩いた地域の歴史的スポットを巡る。福田さん作成の資料(A4版12頁)が配られ、ウォーカーズ創始者の佐藤邦弘さんも加わり、心強い限り。

駅近く、旧陸軍施設跡を横目に一路南下、幕府下野牧の「勢子土手」を見学し御滝山金蔵寺(滝不動)へ。参道を歩み境内を経て小憩。桜は未だ。不動尊北側の星影神社は初富、二和・・と続く明治初期の下総牧開墾の記念碑的神社。境内には開墾百年記念碑と二和栄和荘土地改良竣工記念碑が並び、幕臣はじめ維新の荒波に揉まれた人々の苦闘の様や、同地域の昭和初期における宅地分譲(別荘地としての開発)とその後の紛糾の歴史を伺い知ることができる。

続いて西に向かい馬込霊園を谷津越しに見る広大な某私大用地を巡り、後期旧石器~縄文~古墳時代に跨がる「西ノ台遺跡」へ。埋め戻され、あるいは放置され遺跡らしき痕跡はないが、悠久の3万年を感じる縁とはなる?遺跡を後に船橋、鎌ケ谷の市境から史跡、鉄道連隊橋脚へ。往事、陸軍鉄道連隊は津田沼駅近く(千葉工業大キャンパス)にあり、千葉公園から大和田、大久保、津田沼さらに薬園台、二和を経て松戸に至る線路網を敷設、そのうち現存するのが津田沼―松戸間の現新京成電鉄の路線である。件の橋脚は二和からの支線跡地であり、路傍に「陸軍」の土石標が残る。

一端北へ進み、県道「船取線」の道の駅にて小憩。Uターンして木下街道の東の通りを一路鎌ケ谷大仏駅へ。因みに木下街道は市川から馬込沢、鎌ケ谷を経て利根川畔の木下、布佐に至る街道で、芭蕉の「鹿島紀行」にも「やはたと云ふ里を過ぐれば、かまがいが原と云ふひろき野あり」とある。

12時20分、駅前到着、全員で昼食会場へ。3万年前の先人の石器を用いた食事を偲びつつ、ロボットの配膳で喉を潤し、胃袋を満たし散会した。

(大内澄夫、大山徹、小谷野俊夫、佐藤邦弘、芹沢徹、橋本美恵子、福田豊、前田昭子、吉川文夫)

(S45政経 吉川)、(S45理工 大山)

集合写真(バーミアン)

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御滝不動

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   星影神社

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    西の台遺跡

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